ブログを書こうとすると
胸が張り裂けそうだ……。
なんて、紫吹淳さんじゃないけれどww
(あのオスカル紫吹さん大好き❤)
ブログを書こうとすると胸が苦しくなってアップできないのだ。
うーむ。
こういう症状が定期的に現れる。
根性で1年間バリバリ書いたあとも、もう、もぬけの殻、生ける屍、ウォーキングデッドのように書けなくなった。(いや、ウォーキングデッドは動けるか。ブログくらい書けるかもしれんな)
ブログを書いた方が、自分のためにいいのはわかっている。
「書かなければ死ぬと言われれば書けるでしょう?」
と言われて、そうだよな、わたしは覚悟が足りんのだ!そう、このままだと死ぬのみ、死んでもええんか???死ぬのかあんた!!!とよほど思っても書けなかったのだから、もう死ぬしかないんじゃないかと思うのだけど。
胸が苦しくなり、息ができなくなる。
実ははてなブログの裏に、もうあとはアップするだけの状態の下書きが並んでいる。でもアップできない。
仕方がないからしばらくはSNSでの当たり障りのない投稿に重きを置いてきた。
想像するに、おそらくこういう心理が働いているのではないかと思う。
読んでいる方がどんなふうに感じているか? 自分の文章に反論していないか 嫌な思いをしていないか わたしを白い目で見ていないか わたしは正しいのか?
たぶん相手のことを意識しすぎるのだ。
もっとも相手のことを意識するのは大事だ。 読み手がほしい情報であるか? 楽しく読めるか? 問題提起できているか?など、それは相手を意識しなければ書けるものではない。
でもわたしが意識しているのは、相手の視線なのだ。
いや皆までいうでない。
わかっているさ。
相手に嫌われやしないか 相手に批判されないか…… なーんて気にしたって仕方がないことを。
影響の範囲外のことに意識を使っていても、何も生まれない。時間の無駄なだけである。
しかしもうこれは、べったりとわたしにまとわりつき、張りつき、今のところまだ取れていない。
このままでは、わたし生涯悩み続けることだろう。
もちろんさんざん心の勉強をして、頭では相手のことを気にしても仕方がないということはわかっている。
まあ正しい人なんて誰もいないと思うし、(その時代で正義も正しいも変化すると思っている)
肝心なのは自分の理念と思想を持ってブログを書くことだ。
大したこと書いてなくても、同じである。
天然パーマを愛し、 漫画を愛し、 ジャズを愛する(あ、わたしのことね)
天パーなんて身だしなみ整っていなくてカッコ悪いという人もいるだろうし、漫画より本を読めと言う人もいるだろう。 ジャズなんてわからない、やっぱりロックだ、韓国だ、アイドルだ演歌だ、と人はそれぞれ好みは違うのだから主義主張ももちろん違う。
それを主張すればいいだけのことだ。
ただ!
こう偉そうに書いている割に
頭で思っているのと、
心で感じているわたしと
行動が違うのである。
イバって言うことじゃないけど。
心の中でビビりまくり、息が苦しくなる。
うーん。
マジメにメンタルを一度調整しなけりゃいかんかもなあ。
というわけで、ブログを復活させても大したことは書けないでいる。
情報系のブログを書こうとすると、どうも書けないっぽいので、いつもの駄文ブログに戻る。
ということは、自分のビジネス的にイケイケなことは書けないということである。
ただ、クライアントさん、お客さま発の仕事の文章はきっちり書けるのだから、お間違い無く。
なんの因果か知らないが、自分のブログで自分の稼ぎにつながるような発信となると、冒頭の
胸が張り裂けそうだ
になってしまうのである。
クライアントさんの記事には、自分のメンタル関係ないですからね。仕事は仕事で張り切ってやります。(そこが不思議なところでね)
自分のことをアピールして、というのがどうやら苦手のようす。
まあぼちぼち、書きますかね。
こういうことなら書けるかなーという、かなりハードルを下げての、ブログ復活です。
人間臭い文章で、また書きますわ。