海へ。
何しに行ったかというと、笑わないでくれ。
カニを逃しに行ったのだ。
買ったアサリに何か動く!と思ったら小さなカニがいた🦀
5ミリくらいの小さなカニ。
すぐ死ぬかと思ったら、ペットボトルのキャップの中で2日経ってもまだ元気。
これはカニを海へ返せと、海がわたしを呼んでいるのだと、朝から海へ出発。
波が穏やかなテトラポッドのそばに放流してきた。
少し行くと、テトラポッドの影でソロキャンプの跡。
ガッチリ瞑想している方もいる。
ああ、ここで瞑想もいいなと横目で見ながら(そんなに落ち着いてできない人だけど)、海を求めて砂地を歩く。
日本の神様にはオオヤマツミという山神(富士山浅間大社、コノハナサクヤヒメの父さん)と、ワタツミノカミ(竜宮城の姫の父親)いう海の神がいる。
ご先祖様に山族と海族とあるとすれば、わたしは絶対に海族で、気づくと定期的に海に呼ばれてやってくる。
低い海鳴りと、のたりのたりと打っては返す波を見ていると、海の神と名をつけ畏怖しながら、暮らしていた日本民族の姿が見えてくる。
貝や魚を獲り、多く取れれば他の人と交換。
獲れなければ腹をすかす。
1日4時間ほど狩猟して、あとは踊ったり喋ったり。
神を祀ったり。
時には海で命を落とす。
怪我をすれば、それが原因で死ぬ。
不漁なら腹が減って死ぬし、暑さや寒さで死ぬこともあるかもしれない。
大いなる自然の中で生かされているのだ。
ただ、昔の悩みはとてもシンプルなもの。
生活も
食べるために動き、働き、そして寝るだけ。
生活自体が運動になるし、
暮らし自体がコミュニケーション。
現代とどちらがいいというわけではないけれど、
そして、現代にどっぷり浸かっているので、そんな原始時代の暮らしなんかとてもできないけど、もう少し、昔の暮らしに寄せたいと思う今日この頃なのでした。
仕事の前にこうやって海へ来て、
自然や、古代の暮らしに想いを馳せることができるのも、とても幸せ。
しばらく心を整えて、帰宅。
帰ったら今まで通り、自然とは正反対のITのお仕事笑
このITと古代の暮らしのコラボレーションで豊かな暮らしを目指すことができないか?
世界の女性や子どもたちも幸せな暮らしに導くことはできないか?
というのが目下の課題であり、将来的な目標なんだけど、今のところなーんにも目処は立っていない。
だいたいそんなことはできるのか?
やはりどちらかしか叶わないのか?
ITも同時に叶えるなら、そこで工場で働く人や原料を採取する人、販売する人はどうしても発生する。
労働時間の問題は、欲をかかない質素な生活にすれば良いのか?
だいたい無駄な商品ばかり大量に作って廃棄しているのだ。そこへ無駄な労働力もかかっているわけだし。
ホリエモンは、今に働かなくて楽しく暮らせる時代が来るという。
わたしは、どうしてもホリエモンは金持ちの道理をかざしていると見てしまう貧乏性なので、その時代に備えていないと、格差社会で働かなくて楽しむ人と、低賃金で長時間労働の人と二極化するのではないかと思うのだ。
ところで、リリースしたカニ、大きくなったら恩返ししてくれるかしん。
ワタツミノカミさま、ご連絡お待ちしております。