ままここmamacoco

ありのままで、イマここを生きている「ままここ」。アラフィフにしてフリーランスに転向した女は果たしてフリーとして生きていけるのか?

銀杏と母と、会ったことのない兄。

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何十年かぶりに、子どものころ過ごした街を歩いた。

そこで亡くなった母とのことを振り返ることに。そんな記憶のカケラを、残しておきます。

 

わたしは今回、母との関係を一区切りするために来たんだなと思う。

 

母と会ったことのない兄と、わたしの関係。

 

 

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先日の日曜日に、とある集まりで静岡へ。

 

バスで会場へ向かおうとしたのだけど、

 

歩けば22分で着くとGoogleが教えてくれた。

最近は2〜30分は徒歩圏内と思えるほど歩くことが日常のこととなっているため、歩いてみるか!と気楽な感じでバス停を後にした。

 

わたしは子どもの頃、この静岡市に住んでいた。

 

小学校4年まで。

そのあと静岡市を訪れたことは何度もあるけれど、住んでいた家の場所を訪問したことはない。

 

以前Googleアース(衛星写真と地上から撮った画像でその場所を見ることができる)で、幼稚園から小学生の頃に住んでいた家のあった場所を探したことがある。常葉大学という地元の学校に周囲を囲まれるようにして存在していたはずの我が家は、すでに消えてなくなっていた。

 

よく庭にビニールプールを出して遊んでいると、上から女子高生がのぞいて笑っていたものだ。

 

Googleアースで見て、家がないことを知ってから、あえて静岡の町を散策しようなど考えたことはなかったのだけど。

 

Googleマップの上に、目的地までの道のりで『鷹匠公園』の文字が光る。昔遊んだ覚えのある場所。そちらを選択すると、「一分遅い」らしい。でもそちらを選んだ。

 

わざわざ一分遠回りして行った鷹匠公園は、まるで記憶になかった。

どこにでもありそうなよくある公園だった。

どこかに記憶のカケラがないかと思ったが、残念ながら思い出せない。

 

天をつくようにそびえるいくつもの銀杏が、黄金色に輝いていた。

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その下で、近所の子どもたちが母親に連れられて楽しく笑って遊んでいる。

 

小さな頃のわたしも、自転車に乗ってここまで遊びに来ていた公園。

たしかここには紙芝居が来た。

そして母親とも来た。

小さなわたしははしゃいでいる。

 

母親はどうだったろう。

どんな気持ちで、この銀杏を見ていたんだろう。

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なんでわたしはここに来たんだろう?

 

思い当たる節が一つある。

もう半年ほど受けているピラティスだ。

 

 

……

 

 

最近ピラティスを受けている。

急にピラティス?と思うかもしれない。

 

施術をする姉さんは、ピラティスにカウンセリングをくっつけている珍しい人。

客の様子をみて、カウンセリングをしたり、身体を整えたりと臨機応変に施術を変える。

 

最近わたしのメンタルダウンがひどいと思ったのか、めっきりカウンセリングに力を入れ、わたしの過去を探ろうとしてくる。

 

「はい、では0歳から8歳までのことを思い出してー」

 

そんな0歳のことなんて思い出せるわけなかろう。8歳としてももう40年も前のことだ。

 

なんて思っていたが、

 

ふと若いころの母親が、俯いてむせび泣く姿が脳裏に浮かんだ。

 

「ああ、0歳じゃないけど、0歳の前の話でこんなの思い出したわ」

「なに?」

 

わたしには兄がいた。

生まれて1歳で、病気により亡くなったらしい。そこまでは聞いていたんだけど、その一件にはある「いわく」があった。

 

どうやら、兄が亡くなった時にかかっていた医者が、〝偽医者″だったというのだ。

 

 

数年前にたまたま遊びに行った叔父の家で、兄の亡くなった真相を聞かされた。

 

「たしか、偽医者にかかったのよね」

叔母はさらっという。

「あれ、知らなかった?」

「はじめて聴きました」

「そうか……知らなかったのか……」

どうやら母は自分のはじめての子を、偽の医者に見せていたのだ。

 

名古屋で偽医者が捕まった。どうやらそれは全国ニュースになったらしい。

通っていたのが偽医者で、その医者に見てもらった息子は死んでしまったのだ。

母は道路に飛び出して死にたいと思ったが、死ねなかったという。

 

そのあとに生まれたのがわたしである。

 

今考えると、いろいろ合点が行くことがある。

我が家は、父が転勤族だったためあちこちに引っ越す。母は医者を探すときに、近所の人にくどいほど聞き込みをし、本当に良い医者を探すことに異常なまでにこだわっていた。

 

異常なまでにわたしを可愛がっていた。

そして異常なまでに仏にすがっていた。(熱心な創価学会の信者だったのだ)

 

「その母親だから、少なくとも小さい時のわたしの心に影響はあるんだろうって思ったのよね」

「そうなんだあ、確かにそれって大事なポイントかもねー」

ピラティス姉さんはそういってメモに残した。

 

 

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今目の前で遊ぶ親子を見て、じっと子供を見つめるわたしの母の姿がダブって見えた。

 

どんな気持ちでわたしを育ててたんだろう。

この子だけは死なせまいと、必死だったんだろう。

あの人は、ずっと必死だった。

 

そうじゃなくても仏様命だったのに、さらに仏様を信じるように、いや助けを求めるようになったのかもしれない。

 

そんなことを考えながら、公園を出た。

 

今度はちゃんとわたしが存在していた証拠を探したい。

 

わたしのカケラを探して歩く。

 

幼い私が存在していた場所。

ふらふらと歩き、家のあった場所に行った。

やはり家はなかったが、見覚えのある建物がそこにあった。

 

それからもう記憶の奥底に埋まっていた思い出を頼りに、通学路を歩く。

 

青い火花を散らして据えた臭いを漂わせていた鉄工場、

毛並みの綺麗なシェットランドシープドッグを買っていた家、

傘で空を飛ぶことができるんじゃないかと実験していた電電公社の階段、

遠くまで自転車をこいで遊びに行った駿府公園(今回見てみたら、びっくりするくらい近所だった笑)

 

小さなわたしが遊んでいた場所。

わたしは確かにここに存在していた。

そして。

 

そこで母は必死に生きていた。

 

わたしを守るために生きていた。

 

 

思い起こせば、わたしはそんな母のことを今まで背負って生きていた。

わたしの苦しみはそこにある。

 

わたしが頼まれもしないのに、母の苦悩を自分の苦悩としてずっと抱えていたのだ。母の苦痛まで引き受けて、わたしがなんとかしなきゃと抱えて暮らしていた。

 

でももうそれは母の選んだ人生だったと言える。

わたしはわたしの人生を歩く。

 

過去の母にありがとうと伝えると、母の幻影をそっとそこに下ろした。

 

銀杏が美しい季節だった。

わたしは歩き出す。

 

母はまだ、あの銀杏の舞う公園でじっと子どもを見つめているのかもしれない。