こんにちは! てらっちです♪
先日、上野千鶴子さんについて書きました。
そのときにケンカで勝てるようになりたいって書いたんですね。
なぜなら、ケンカにならなくてもヤバそうだとすぐに逃げるわたしがいるからです。
早いですよー逃げるの。
ケンカと書きましたが、上野教授のは正確に言えば議論です。
要するに口喧嘩ですな。
わたしは力もない上に、口喧嘩もめっぽう弱い。
だから悔しくて仕方がない。
だから、勝ちたい、と思う。
相手を打ち負かしたい!くせに、そんな一方でコーチングをならっています。
コーチングは、話す相手が本当に望んでいることを探して、そして前向きにゴールやビジョンを目指してもらうもの。
なんか対局ですよね。
コーチングはそもそも信頼関係がないと、成り立ちません。コーチに信頼がないと心を開いて話をすることができず、目標やゴールにたどり着かないことになります。
もしたどり着いたとしても、どこか腑に落ちないものになるかもしれません。
それくらい、信頼関係、ラポールって大事。
コーチング対、議論での口ケンカ。
両方できるようになりたいと思うわたし。
わたしはなにを目指したいんだろう……(~_~;)
コーチングは相手の今と未来を探る作業。
上野教授の議論は何だろう?
上野教授の議論は、地球規模で未来を作る議論だと思うんです。
社会学は過去の膨大な文献から、今の女性が置かれている真実をあぶり出す作業。そして、議論によってその真実を言語化し具体化していき、社会へと伝える役割があります。
(たぶん。上野教授読んだら違うって怒られそう)
どちらも、人とのコミュニケーションの難しさから生まれているんじゃないかと感じました。
コーチングはコーチによって言葉にしがたいモヤモヤを見つけ出し、議論は、言葉を戦わせることによって、今まで言葉になっていなかったモヤモヤをあぶり出す。
どちらがいいとか悪いとかではないのはもちろん。
使い方が大事。
なかなかわかりづらい女性の立場を主張するのには議論が必要だし、それに、クライアントさんのモヤモヤを解決するにはコーチの存在がとてもいい。
ああ、わかった。
コーチングは相手が主体だけど、
議論はこちらが主体なんだ。
クライアントさんの考えをしっかりと聴きながら、相手のために言葉を構築していくコーチング。
こちらの考えや状態を、手を替え品を替え、膨大な情報から言葉を選んで伝えていく議論。
主体が自分と相手で違うんだ。
コーチングでは、相手のために。
議論では自分のために。
使い方が違うわけです。
議論でなぜケンカ腰?と思ったけど、自分にとって不快な状況である場合、しっかりと言葉を使って伝えておくべきことは伝えないと、相手はなにも気づかないから。
そのための上野流ケンカの仕方なのね。
と、一人で書きながら納得しました。
とはいえ、上野流議論がすぐに使えるようにはなりませんが。
自分の伝えたいことをじっくり伝える技術は磨いていきたいと思います。
てらっちでした♪