こんにちは! てらっちです♪
今日の街散歩。花々が初夏の彩りへと変わってきました。
花々を見て考えていたら、頭の中ではなんだか哲学的なことへとたどりつきました。
元は掛川城下での散歩。
掛川城下は、川べりに百合がとてもたくさん植えられているんです。
毎年それが一斉に咲くと、それはもう見事なんですよ。
まだ百合はその準備中。
いくつか、蕾がほころび始めたところです。
蕾ってこんなに鮮やかな色になるんですね。
そして、あちこちのユリのそばで、紫陽花も花開き始めていました。
梅が終われば桜が咲いて、桜が散ったら、菖蒲が花を咲かせ、それが終わると今度はユリや紫陽花へと変わっていきます。
そこらの雑草も次から次へと花のバトンを渡していくんだなぁ。
元は枝ばかりだった木々も、花を咲かせ、今は新緑に輝いています。
命はじゅんぐりにまわるもの。
人は、誰かが花開いているときは、じっとして蕾として花開く時を待っている。
他の花が喝采を浴びていても、まだその時は自分の番ではないのかもしれません。
あせって蕾のまま舞台へ出ることはありません。
蕾はは必ず花開きます。
それまで、ひたすらできることをやるのみ。
ただ、ずっと咲いたままでいる花はありません。
花が終わり枯れたような草も、次へと命をつなぐタネを残します。
散ったあとは、また次の世代へとつなぐための大切な時間。
タネは土の中で暖かくなるのを待ち、芽を出します。
芽から葉が出て、蕾ができ、花が咲きます。
そして散ってタネを残す。
その一連の時間はDNAのなかでとても大切なもの。
DNAは命をつなぐためにいろんな形へと変化していきました。
花になり、木になり、虫になり、動物になり、人間になり。
意味があってこうなったのでしょうか?
意味があるのかっていうと、多分意味はないとわたしは思うんです。
ただ生き物って、DNAが生き残ろうと求めるまま、生きていると思うのです。
でも生きている限り、その人はあるべくしてそこにあるもの。
何かの必然性があってそこに生まれてきたのだと思います。
なんのために生まれてきたのかではなく。
そこにあるべくしてある。
自分らしく。
そのままで。
今あるがまま、今を大切に生きる。
それが、イマココなんじゃないかと思うのでした。
…………
お、ちょっと今日は哲学的な
てらっちでした♪