こんにちは! 久しぶりに神社女子てらっちです♪
もうすぐ天皇陛下が退位されるとあって、連日天皇や元号改元の話題で盛り上がってますね。
先日、そんな中の一つ、平成の天皇陛下が伊勢神宮へ参られたときの報道で、
「天皇家の先祖であるアマテラス大御神の祀られている伊勢神宮へ参拝なされました……」
という表現があり、これは現人神(あらひとがみ)に当たらないか?と物議を醸していました。
私は、神社女子として、今まで学んできた古代史から、
『天皇はなぜ現人神と言われるのか⁈現人神ってなに?』
を解説し、自分なりの考えを書いてみたいと思います。
古来「カミ」とは、偉い人の意味
天皇をなぜ神という表現をするようになったのでしょうか?
まずは、日本古来の「カミ」という単語を、紐解いてみたいと思います。
古代では、偉人のことや、自分より目上の人のことを「カミ」と呼びました。
わかりやすいところでは、戦国時代や江戸時代の時代劇で、「越前守(えちぜんのかみ)」の「守」(かみ)のように、役職にも「かみ」が付いていますし、奥さんのことも「かみさん」と呼んだりしますよね。
縄文時代にはアイヌ語が日本の古来の言葉として語られていたのでは?という研究もあるのですけど、そのアイヌ語で英雄のことを「カムイ」と言います。
この「カムイ」が「カミ」につながるのでは?とも言われているんです。
ということは、「カミ」という言葉は、もともと「偉大な人」という意味であって、西洋の「神」さまと同じ漢字を書きますけども、意味合い的には違う「神」であったと考えられます。
『古事記』の神様
そして、伊勢神宮に祀られているアマテラスも登場する『古事記』。
この『古事記』『日本書紀』などに書かれている神様は、「神様」として今は神社で祀られ、実際にみんなに拝まれる存在ですが、その神様というのは、大多数は実在していた人たちだと考えられています。
有名なところがお正月様で有名な「年神様」。神社の名前では、「大歳神社」「年神社」など。「トシ」という名前が付いているものは大抵同じ神様の神社です。
大歳は、別名「ニギハヤヒ」と言われる人で、大昔、大陸から来て大和国を治めた偉大な人物でした。ちなみに、大陸から来た人は、天津神(アマツカミ)と言います。
出雲大社の「オオクニヌシ」は、ずっと昔から日本に住んでいる地元民の王様で、大国主といわれるだけあって、当時の西日本を大きく支配していた人物です。国に根付いている人は、国津神(クニツカミ)と言います。
日本の神様は、このように、「天津神」「国津神」そのほか、「神様」と呼びますが、実在していた偉大な人を祀ったものであり、これは先祖信仰の延長ではないでしょうか。
ご先祖さまのお墓に行ってお参りすることってあるでしょう?
歴史上の偉大な人のお墓も行ったことありませんか?
幕末の志士や、赤穂浪士など、有名なお墓には今でもお詣りする人とお花が絶えませんよね。
神社は、その延長線上の、実在した人へ感謝を述べに行ったり、これからも見守ってくださいとお願いをする場所でもあるのです。
ですから、日本の神様というのは西洋の神様とは少し毛色が違うということをおわかりいただけたでしょうか?
とはいえ、ここからは、天皇は『現人神』である、という話になります。
ええ、人間って言いたいんじゃないの?と思われるかもしれませんが、『現人神』である理由もあるのです。
こちらは知る人ぞ知る、かなりセンセーショナルな一冊で、出雲大社の宮司は「神」であるというものでした。これこそ物議を醸した一冊となり、古代史関連の本を読んでいると、あちこちで引き合いに出される書物となっています。
以前にこちらの本を読んでのレビューを書きました。
かなり興味深い本なので、古代史が好きな方にはお勧めします。
出雲大社の宮司自らが、出雲大社が古来から連綿と続けている、厳重な儀式などを著し、その意義を語っています。
古来より、出雲大社の宮司は出雲国造であり、出雲国造は『アメノホヒ』という神であると言い、行われる火継ぎの儀式は、出雲国造が神となるための儀式であるというのでした。
宮司は、国造となる時の儀式で、アメノホヒとなり、死ぬまでその役目を全うします。
出雲国造の代を譲る時、火継式という厳重な儀式を執り行います。火継式は、つまりは代を譲る日継式であり、そして魂を譲るという意味の霊(ひ)継式。
連綿と、受け継がれてきた儀式。
それと同じことが、天皇家でも行われているのではないかと千家氏は語ります。
つまりは、神となる儀式を天皇家でも行なっているのではないかということです。
なぜなら、「アメノホヒ」とは、天皇家の祖先「アマテラス大神」の兄弟神でありますから。
出雲国造が、アメノホヒノミコトであるとするように、天皇は代々天孫ニニギノミコトそれ自体にほかならないとしています。
皇室のことでうかがい知れないところがあるとはしながらも、この出雲大社の儀式を通して、天皇という存在もなんとなく見えてくる気がしませんか。
ですから、天皇のことをこの本を読んでから、確かに神であろうと私は信じています。
少なからず、神となる儀式を行なって天皇になっているのでしょう。
ただ、神であるとして、果たしてその神は、問題とするような神なのかどうかということです。
明治政府によって神の意義が変わってしまった
天皇家の立場がガラリと変わったのは、明治に入ってからになります。
明治に公布された大日本帝国憲法では、『天皇は、神聖にして侵すべからず……』と書かれており、天皇を神聖視することで幕末からの動乱の日本をまとめるためのシンボルとして祀り上げました。
『古事記』の中でも有名な「神功皇后」が、朝鮮へ出兵した話を教科書に載せるなどして、日本国民であることの誇りと、天皇家への忠誠心を煽り、気運を昂めていったのです。
大正時代に入り、その天皇を神聖視する熱はいっとき収まったようですが、それから第二次世界大戦に入り、再び軍部によってその「現人神」は再燃することになりました。
あとはみなさんご存知の通りの歴史を辿ります。
天皇は、神になる儀式を行い、神として存在しているのだと思います。ただ、明治政府や第二次世界対戦で祀り上げたような、軍神となることで、本来の意味とは違う神へと変わってしまったのでした。
天皇は五穀豊穣の神
天皇家の一番大きな祖先とは、伊勢神宮でおなじみのアマテラス大神であります。
天皇自体は、このアマテラス大神の孫、天孫ニニギノミコトだと、『出雲大社』では語っていました。
さて、このアマテラスは、なんの神様でしょう?
農耕の神、五穀豊穣を祈念する、太陽の神です。
天皇が神である、というと、西洋と同じ神を考えてしまうけれど、先述の出雲国造のように、ニニギノミコトとなりながら五穀豊穣を祈念する神であるのです。
日本は農耕国家。縄文や弥生時代という古くから、国民のほとんどが農耕により生計を立て、暮らしてきました。であるため、太陽の存在がなにより大事で、科学も発達していない時代には、太陽を司る神に祈り、神の言葉を聞くことが生きて行くすべでもあったのでした。
そのために神の宣託を巫女や神主におろして、話を伺うということが行われてきました。
神がその体に移り、お言葉を聞くことができるのは、その巫女や神職のおかげでした。
おそらくその儀式の流れを、天皇は汲んでいるのだと思われます。
でなければ、正月の朝4時から儀式などやるものですか。
毎年正月になると、国民の誰よりも厳粛な儀式を、あのお年になるまでやって来られたのです。
神という存在が非現実的であったり、スピリチュアルという批判はさておいて、
もし、ニニギノミコトやアマテラスが太陽神であり、農耕の神であるならば、天皇が果たして『現人神』であったとしても、なんの問題がありましょう。
作物が豊作であるように祈るための神であります。
安心して作物を作るためには、何より世の中が平和でなくてはゆっくり農業を営むことなどできませんから、農耕の神は、平和を祈る神でもあります。
決して軍神ではない、ということ。
他の文明の神のように一神ではなく、自然神から派生した八百万の神は、自然を司っています。天皇は、その自然と人間がお互いに豊かに暮らして行くために、神の言葉を伝え、祈りを捧げる存在ではないでしょうか。
侵略の問題
天皇を神だと語る上で、侵略の問題は避けて通れないと思っています。
私はシンガポールに住んでいたことから、第二次世界大戦での侵略の歴史を学んだことがあります。当時まだ20歳だった私は、シンガポールが日本軍によって侵略された歴史があることを知りませんでした。
ある日、なんのきっかけかは忘れましたが、近所のおじちゃんが、「ヒロヒト、バンザーイ」という話を始めたんです。カタコトの英語しかわからない私でしたが、なんとなく通じました。
決して、おじちゃんは私のことを攻めていたのではありませんが、毎朝「ヒロヒトバンザーイ」と言わされ、軍歌を歌ったと語り、軍歌う歌い始めました。
このことだけでも、私はショックを受けました。
本や漫画で見たことが現実に行われていたんだということ。
シンガポールには、犠牲者を弔うモニュメントがあり、今やすっかり観光で有名になったセントーサ島には、日本軍が降伏した記念の蝋人形館がありました。多くの地元の人たちが迫害され、子供も殺されたという話も聞きました。
海外では、天皇が率先して行なったことと見られるのでしょう。
天皇はそれでも神である、などと言えるのでしょうか。
現人神で何か問題があるだろうか?
大戦後、報道で知る限りですが、陛下は国の内外を巡り、平和を祈って来られました。
少なくとも、過激な発言や言動を見ることはありません。
世界にどれだけの神様がいるのかはわかりませんが、こんなに世界平和を祈って、現実社会で実践してくれる神様っているでしょうか。
他の神様は、目に見えない神様です。
その神様を巡って、世界各地では争いごとが絶えず、テロや迫害が今尚起こっています。
この目に見える神様は、誰よりも争いで亡くなった人たちを葬い、偲び、迫害されようとも、沖縄にもなんども足を運びました。
これほど世界平和を願って、国民の平安を願って身骨を砕いた人はそうそういないのではないかと思うのです。
もし、天皇が単なる人であるならば、逆に神様になっていただいても構わないくらい、よくできたお人だと思うのです。
天皇が神であるならば、世界の神々も説得してくれるかもしれません。
もう無駄な争いはやめるように、民に話をしていただけませんかって。
天皇は『現人神』であろうがなかろうが、これほど国民のために尽くしてきた王であり、神様はいないのでは?というのが私の結論です。
天皇は長いお務めを終えて退位されます。
ゆっくり、人間に戻られて余生を送ってもらうことを願うばかりです。
参考記事はこちら。
今回ご紹介した本。