ままここmamacoco

ありのままで、イマここを生きている「ままここ」。アラフィフにしてフリーランスに転向した女は果たしてフリーとして生きていけるのか?

精神病のシングルマザーに育てられた私。一番辛かったのは、同じ境遇の人の情報が全くなかったこと。

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こんにちは! てらっちです♪

 

今日はちょっと重たい話になるので、重たい話はパスっ!ていうかたは飛ばしてくださいね。

 

前回のプロフィールのところで、力がどうしても入ったのがここでした。

 

母親は精神障害者で、シングルマザーってところ。

そのかなり病んだシングルマザーに育てられたんです、わたし。

 

ライターとは関係ないので抜こうかと思いましたが、でも自分の人生の根幹を形作っているのはこの部分であるので、この部分を抜くことはできませんでした。

それから、こんな人もいるんだよ、同じ悩みを持つ人もいるんだよ、

と同じ境遇の人に届くことを願って改めて、私の母の話を書いておきます。

 

母親は精神障害者で、シングルマザーでした。

 

病名は、『統合失調症』です。その当時はまだ『精神分裂症』と言われていました。

いつの間にか病名が変わっていたんです。

母の症状としては、幻覚が見えたり幻聴が聞こえることが大きかったと思います。

実際に、空中を見て蜘蛛の巣を払うような仕草をしたり、どこかに向かって謝るように何度も何度も頭を下げたり、道の途中でぼーっとどこかを見たりしていました。

近所の人が、「あなたのお母さん、道の途中でどこかを見てたわよ」と心配してくれましたが、子どもとしてはどうしていいのかさっぱりわかりませんでした。わかってます、としか言えず。

 

まあ、いきなりそこまでなったわけではありません。

 

母は元から、ちょっと変わった人ではありました。

性格はかなり大人しかったんですね。

その当時では珍しく短期大学(女子美短大)を卒業し、教職をとったのですが、教壇に立つと真っ赤になって何も言えなくなってしまうため、断念、当時アニメの会社を立ち上げた先生に誘われてスタジオユニという会社に入りました。

 

一番最初の『おそ松くん』の動画も担当していたそうです。(というか、おそ松くん以外、他のアニメの名前はさっぱり知らないものしかなかった)

アニメを書いていた時はよかったのですが、お見合いで父と結婚することになり、そこから不幸は始まります。

 

単純に、性格が合わなかったんです。

おとなしい母に、気の強い亭主関白を絵に描いたような威圧的な父。

 

父の威圧的な言葉のDV、そこから母の創価学会への偏狭が始まります。

そして初めての子供を1歳で亡くしてしまいます。

なんと、病気の子供を連れて入ったのが、ニセ医者。そのニセ医者にかかってしまい、子供は亡くなってしまったそう。テレビでも報道されていたようです。(というのを最近私は知りました)

さまざまな要因が混ざり合って、母は日に日におかしくなりました。

 

母が父と離婚してシングルになったのは私が小学校六年の時でした。

 

母は、何を思ってか、実家のある静岡から鹿児島へ引っ越し、母と、私と弟の3人で見知らぬ土地で暮らし始めます。

 

シングルになってから家計も厳しかったでしょうし、人間関係構築が苦手な母だったので、社会へ出て働くことが精神的にもかなりなストレスだったと思われます。

当時はよく、「課長が魔法をかけている」とか、わけわからんことのたまってました。

もうこの頃からおかしかったんですよね。

 

そして3年して今度は東京へと引っ越します。

多分学生時代に住んでいた場所を頼りに引っ越したのでしょう。

それでも生活が大変なのは変わりません。

次第に(正確にはいつからかはわからないけど)幻覚が見えるようになり、隣の家の木を切ったり、長野経団連へ連絡して羊を6匹(だったかな)、東京のど真ん中で購入、飼育しようとしてました。(ちなみに住んでいたのは1Kのアパート)

この時ちょうど、経団連から「今から羊六匹送りますねー」という連絡の電話を、私がたまたま受けたので、羊は納品されずに済んだのですけどね。

 

いやあ、危ない危ない。

 

世田谷のど真ん中で羊を受け取って困るところでした。

 

隣の家の木をチェーンソーで斬り倒すという、なかなかハードな事件を朝5時に起こし、母は祖母と伯父と一緒に静岡へ連れて帰られました。

その間弟はいきなり一人暮らしでそのまま高校へ通うことに。

私は通っていた大学を途中で休学して、静岡へ一緒に行きました

 

最終的には、母をだまして病院へ連れていき、精神科で『分裂症(現在では統合失調症という)』と診断され、その後死ぬまで20年ほど精神病院に入院することになります。

 

母は、最後はガンで亡くなりました。

胆管がんと、膵がんというなかなか併発するのが珍しい組み合わせだそうです。

いや、褒められてるのか、なんなのかわかりませんでしたが。

亡くなって、ホッとしたというのが本当のところです。

でも、退院させて家で面倒を見てやれなかったことを今でもとても心苦しく思っています。

 

何を言いたいかと言いますと。

私は、育ててくれた母親が精神病のシングルという特異な体験の持ち主です。

 

もしかしたら、これを読んでいる人の中で、「こんな親が精神病の環境って自分だけ?」と探りながらここにたどり着いた人がいるかもしれません。

 

もし生徒さんや学生さんなら、今は昔と違ってスクールカウンセリングがありますので、1人で悩まずに、まずスクールカウンセリングに相談してみてください

 

当時はそんな人もいなかったので、どこに相談していいのか本当に途方にくれたんです。

 

ネットもなかったしね。

 

でも今は、ネットで調べることもできるし、同じ境遇の人を見つけることもできる。

それに、なんとかそんな子どもたちや、そんな悩みを抱きながら大人になってしまった人たちを助けたい、と動いている大人がいっぱいいるんです。

 

大人は悪い人ばかりじゃありません。

わかってくれない人ばかりじゃありません。

ただ、わかってくれる人を見つけるのに時間はかかります。

 

何も知識がない人に相談しても、かえって孤独になるばかりなので、自分の知りたい情報に少しでも近い人に相談するのが、1人でないと実感できる近道です。

 

友達にも相談しましたが、母がそういう病気だと理解してもらえないので、「それって、お母さん気が弱いんじゃない?」と言われてそれはそれで落ち込んだことがあります。

友達はそういうことに関しては全く知識がないので、相談しても自分だけなんだと再確認することになり、自分が傷つくだけでした。

 

でもちゃんと助けてくれる人が今の行政機関にはあります。

ネットもあります。

特にカウンセリングをやっている人は、大抵自分も傷ついたり心細かった体験をして仕事についた人も多く、困っている人を助けたいという強い思いがありますので、安心して相談してみてください。

 

市役所の児童福祉関係の窓口や、保健所でも対応してくれます。

広報や市役所のHPなどで無料相談などを確認してみるのもいいでしょう。

 

『チャイルドライン』
NPOによる子ども専用の窓口です。電話で対応してくれます。
tel 0120-99-7777

 

とにかく、当時心細かったのは、自分と同じ体験をしている人がいなかったことでした。

今は世界中につながっている、インターネットがあります!だから、自分1人じゃないということをわかってもらえるだけでも、心強いんじゃないかと思い、こうしてネットに書いています。

 

今回調べたら、精神病の親に育てられたまま大人になった人たちの、こんな集まりもありました。

 

『こどもぴあ』

精神疾患のある親に育てられた子供の立場の人と、支援者で運営されているそうです。

同じ境遇の人に出会う機会はなかなかありませんが、このような集まりで1人ではないと気づくことができます。

kodomoftf.amebaownd.com