こんにちは! てらっちです♪
今日は久しぶりに神社女子、古代史女子てらっちです。
Amazonがいろんなものをお勧めしてくれるのですけど、その中で、かるーい気持ちでポチしたのがかなり衝撃的でした。
いや、他の人はきっとこの本はナンジャラホイ?というその作られた理由も、なぜそこまでこだわるのかもわからんと思います。
でも、私はかなり衝撃を受けました。
ほとんどの人がこの本の良さをわからないだろうから、一人でこっそりシェアします。
それがこちら。
『Python3.6による暦の作成 第六巻 日本古代の暦』
日本書紀などに記されている神武天皇あたりまで遡り、その月のカレンダーを作成するプログラムを組み、もうわけわからん計算式、プログラムを開示してくれています。
大化の改新でおなじみの、大化元年のカレンダーを見たりすることができます。
そんなの見てどないすんねん?
いや、古事記や日本書紀を読み解く中では、それがいつの時期なのかを知ったり、暦が
『干支(かんし)』でいつに当たるかも全てわかります。
干支とは、「戊辰戦争」の『戊辰(ぼしん)』とか、『辛亥革命』の『辛亥』(しんがい)がそれですね。「甲乙丙丁……」など10種類と、「子丑寅卯……」の十二支の組み合わせでできています。
甲子(きのえね)とか己亥(つちのとい)なんて言い方をするのですけど、干支つきのカレンダーなら見たことあるかな?用は、毎日の日付に干支が毎日割り当てられているのです。
で、それらは10と12の最小公倍数は2×5×6=60 だから、60を単位にしてぐるぐると回っているわけです。
ま、それはそれでいいんですけど。
(いや、計算式やプログラムが複雑で凄すぎて、理解できる範疇ではないのでスルー苦笑)
私も正直ふんふん、という感じで見ている程度でした。
それがこの本の最後の方で、『半年暦』という章があるんです。
ここがすごい。
半年暦という言葉を知らなかったので読み進めていくと、私の中の大きな謎をとく鍵が秘められていました。
それは、天皇家の大きな謎の一つをとく鍵です。
あまり知らないと思いますが、実は天皇家の初代から10代くらいの天皇はめちゃくちゃ長生き!なんです。
長生きなんてもんじゃありません。
神武天皇120歳、孝安天皇137歳、孝霊天皇128歳垂仁天皇138歳、景行天皇143歳……。いや、それはうそやろ、盛ってるやろって年齢です。
ですから、この時代の神様、天皇たちは伝説の人なんじゃないかとか、訳あって盛っているとか、大工さんが緻密な計算で歳を伸ばしているとか、ちょっと理解できないけど考えに考え抜いた説を語る人もおりました。
でもその答えになるんじゃないかというのがこの『半年暦』です。
西暦340年頃までの九州北部の倭国や百済や新羅は半年を1年として数える半年一年暦を使っていたんですって。
そして西暦345年に中国の太陰太陽暦に切り替えたと言います。
その痕跡として、長野の諏訪大社は、春社と秋社の二社に分かれていました。
春社では春分が元旦として遷座祭を行い、秋社では秋分に元旦として遷座祭を行っていたんですって。つまり、春分秋分と二回元旦が来ていたんです。
だから、昔の人は半年に一回、歳をとっていた!!
とすると、古代天皇家の年齢がめちゃくちゃ長生きだった理由も納得がいきます。
もしかすると、『天皇家が短命になった』とする「コノハナサクヤヒメ」と「イワナガヒメ」の伝説があるのですけど、コノハナサクヤヒメは桜の神様。イワナガヒメがもし秋に相当する神様であるなら、半年暦と関係する逸話だったのかも知れません。
ちょっとこれは勘ぐりすぎですか。
数十年前にも、チベットにもめちゃくちゃ長寿の人がいると聞いて取材にいったら、半年に1歳を加える半年暦の地区だったとかで、実際は50歳だったとか。
そんな地域が本当にあるんですね。
そういう話を聞くと、日本も昔半年暦だった、という話も真実味が湧いてきます。
天皇家の120歳越えは、「半年暦」だったから!
という説、有望だと思うなあ。
と、今日は一人でワクワクしていたのでした。(言っても誰も理解してくれないので)
Amazonさん、お勧めしてくれてありがとう!
てらっちでした♪
追伸。書いて満足しています♡白井豊先生、ありがとうございました。大変勉強になりました。