こんにちわ、てらっちです。
DVはわたしが求めていたもの?
DVはわたしが望んでいたものだとたちさんは言います。
そんなことありません。
そんなものをだれが望むっていうんでしょう。
唐突に始まりましたが、先日プロブロガー立花岳志さんの個人セッションを受けてきました。普通の人はもっとブログ運営のコンサルとか、コーチングとかブランディングとか相談に行くんでしょうが、わたしはカウンセリングを希望していきました。(一応物書きになりたいという希望は書いておいたんですけどね)
▼これまでのセッションの模様はこちらから。こちらがその1。
話を戻します。
わたしはDVなんかまさか求めてなんかいませんよ。
そんなもの好きどこにいるんでしょう。
でも……いや気づいてしまいました。
ふと親の姿が脳裏に浮かびあがります。
大きな声で怒鳴る父の前でずっとうなだれ、時が過ぎるのを待つ母の姿。
あれ、私だなーと。
わたしも同じことをやっていたわ。
こんこんと説教をするダンナの前でただじっと黙って何も言えずにいる自分。
それをたちさんに伝えると、この本を紹介されました。
親の姿を見て子は育ちます。そしてその子は、その親の姿が、親が繰り広げる家庭が最適な家庭だとその頭の中に正しい世界観だとして刷り込まれるんです。それがもし暴力をふるう親だとしたら、その子供も、暴力をふるうことが正しい世界だと刷り込まれてますから、また自分の子供に暴力をふるうのです。
わたしも同じだったんです。
そんな連鎖の話は聞いたことがありましたが、まさか自分もそうだとは思いませんから、自分も同じだと気付いたときには頭をガツンと叩かれたようでした。
そんな昔のことがまだ頭に刷り込まれていたんです。
わたしはそんな過去の父親の影響で、自分で臨んでそういう男性を選んできたんです。
もしかしたら、旦那はそこまで強くいっていなかったかもしれません。
でもわたしはこうやって黙っているしか知りませんから、何も反論できずにいました。
自分で望んで、DVにしていたんです。
それがわたしが一番望んだ夫婦の形だから。
えーーーーーーっっっ。
そんなことあるんでしょうか?
自分で望んでわざわざ大変な目に合う人を選んだっていうんでしょうか?
でも選んでいたんですねー。よく見つけましたよ、ちょうどいい人を。
でもなんだか納得しました。
ショックでしたが、私の中でストンと納得できたのです。
まるで、SF映画で悪者が自分の偽物に化けて悪さをしていたのを見つけた気分です。
でも、それは過去の幻影。目の前の現実は、父親もただうるさいじーさんだし、ダンナも今では理解してくれ、わたしによくしてくれています。ただ、気持ちがまだ過去の幻影に捕らわれていたんですね。
自分が価値がないと思うのも、ただバカみたいにがんばって突き進んでいるのも、家から一歩出るのに勇気がいるのも、すべてこの過去の自分からくる思い込み。
それがわかったとき、パーッと心の憑き物が落ちたようでした。
「すごく納得しました」
わたしが伝えるとたちさんはにっこり笑ってくれました。
ちょうど次の日の朝が、こんな空。
この空のようなまっさらな、すがすがしい気分。
まだ長い間つきあった思考のクセですから、心は揺れ動くとのことです。また不安になったり、落ち込んだりもするのでしょうが、あれは昔のことなんだよ、わたしは価値があるんだよ、と優しく呼びかけながら、自分の心とともに前へと進んでいきたいと思います。
ドアは開け放たれました。
あとはわたしが一歩踏み出すだけ。
うん。できる。
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