こんにちは、てらっちです。
今日はなんとあの、プロブロガーでありコンサルタントやカウンセリングまでなんでもこなしてしまう、スーパープロブロガー立花岳志さんの個人セッションを受けてきました!
わたしにとっちゃかなり高嶺の花のたちさんですが、思い切って個人セッションを申し込んでしまいました。
わたしの悩みは何をするにもあと一歩、踏み出せない自分がいるということ。
何かと足かせを感じてしまい、「わたしにはなんにもできない」と信じてきました。
勝間塾に入って、その足かせになっている紐を、かなり自分で紐解いてきたつもりです。5年かかってるんですよ。5年。
でもまだ何かが引っかかっている。
一体なんなんだろう?
選択理論、ストレングスファインダー、7つの習慣、史上最強の人生戦略……。
勝間塾でいろいろ勉強し、病みきっていた心に絡んだ紐もだいぶほどけ、家から出られるようになってきました。
しかし、前向きな取り組みを成功させても、ふとした時に、自分には何もできていないと落ち込んでしまいます。
仲間が華麗に独立し、能動的に活動を繰り広げるのに対し、自分にはなぜ同じようにできないのだろう思うと、それがさらに自分はあの人たちのようにはなれないんだ、と立っている場所の違いを痛く感じてしまって。
ずっと考えていたのです。
例えば7つの習慣。
あれって、もしかしたら心にはその前の段階が存在するんじゃないかと。
だって、いつまでたってもわたしは『第一の習慣』の『主体的になる』ができないんです。
人の顔をうかがって、うかがって、判断してから動くから、いつまでたっても『主体的』になれないのです。
やればいいじゃんって思うでしょ?
それがもう心が痛くてできない状態。
とにかくこの状況から脱却しなきゃとイベントに申し込んだり、イベントを起こしたりするのですが(そこまではできるようになった)、ずっとその間も悩みつづけます。
こんなんでいいのだろうか?家族に文句言われるな。わたしなんかこの人たちに並べる存在じゃない……。
それに、『7つの習慣』の中の一節、『「〜しなければならない」という考え方をしていないだろうか?』という文句にも、???だったんです。
「〜しなければならない」のは普通の状態じゃないの?
仕事だってプライベートだって、やらなきゃいけないことは、ごまんとあるでしょうに。
わたしは英語の訳し方の問題かしらと思っていました。(自分の解釈だとは思わないのだ)
どうしてわたしは『主体的』になれないんだろう?
なんでだろう?どうしてだろう?
積もりに積もった小さな悩みが見上げるような山となり、気分が落ち込んでいた、先月。
勝間塾の月例会に参加するため、東京へ行かせてくれと旦那に頼み、やっといくことになった時。(これだけのことにかなり悩んで悩んで打ち明けての参加)
たちさんのメルマガから、11月の個人セッション募集という文字がわたしの目に飛び込んで来ました。
▼言わずもがなですが、立花岳志さんのサイトはこちら。
http://www.ttcbn.net/no_second_life/consulting
サイトには、わたしの心にグサグサくる言葉が並んでいました。
・上流(心の問題)を解決しないと、どんなに下流(情報発信やブランディング)を頑張ろうとしても、力が発揮できず、結果も伴いません。
これですよ、これ。まさしく感じていたのはこれだったのです。
そう思いながら読み進めていきますと、
『なんだか良く分からないけど、まずは立花と会って話を聴いて欲しい、話をしてみたいという方』
そんな感じでもいいのならと、とりあえず単発ということで、ずっと気になっていたたちさんの個人セッションを申し込んだのです。
それもちょうどその時間が空いていたのですよ。
来いとばかりに。
つづく。
たちさんのセッションの記事、つづきはこちら