こんにちわ、てらっちです。
神社は教義っていうものがないのを、ご存知でしょうか?
教えってものが、なんと『ない』んです。
キリスト教でも、仏教でも、だいたい世の中の宗教は説教というものがいっしょにあると思うのですが、ほぼそういうのがないのが神道。
なんてラフなんでしょう!
『隣人を愛せよ』とか『与えよ、されば与えられん』とか『目には目を歯には歯を』とか、人生はこうしたものだというありがたい教え。それがないという潔い宗教ってのはめずらしいんじゃないかと思います。
だいたいなんでもありなんです。
神様も一神教とは違い、アンパンマンのごとく、そこら中のものが神様になります。風や草、海や土の神なんていうと聞こえはいいですが、流れの真ん中の神、底の神、上の方の神(住吉三神)、なんて同じ流れの中にこれだけ神様を作られた日にゃ、どれだけ神様か作れるか知れたもんじゃありません。
希望すれば、あなたも神様になれるんですよ。
徳川家康も乃木大将も生きていた人物でも神様になれます。
変わったところでは、『麻雀放浪記』を書いた阿佐田哲也氏も、京都の伏見稲荷に麻雀協会によって祀られ、現在阿佐田哲也大神としてされているとのことです。
▼伏見稲荷の阿佐田大神をお参りした方の記事リンクです
▼全雀連による奉納の記事です。
ぜひ、あなたも神さまに⁉︎
どうやればなれるのかは……
また調べときます♡︎(°´ ˘ `°)/