太宰治がいまどきの、意識高い系の自己啓発の本なんか読んだら、どうなったかしらね。
瞑想やヨガをはじめてみたり。
心理学まなんでカウンセラーめざして
目標立ててPDCAして、起業セミナーに参加してみたり
似合わないわ―、そんな前向きな太宰治。
引越しで太宰治を見つけてそんなことを考えてました。
じつは引越しの最中、太宰治の『人間失格』が出てきたんです。
その本はまだ新しい装丁だし、自分でも買った覚えはないのですが、なぜかそこにある『人間失格』。
なにしろ『人間失格』は思い出の本。
人生ズタボロの時期だったに10代のころにこれ、読んじゃったんですね。
どん底の心理状態のわたしは、この『人間失格』がジャストミートしてしまって、思いっきり心の中に入り混んでしまったんです。
それからもう読むのが怖くてそれ以来読んでいなかったんですが、引越しが落ち着いて、久しぶりに読んでみました。
あれから20年経った今、わたしはどんな反応をするんだろう。
当時のわたしの心理状態も確認しながら読みました。
『人間失格』を読んだことありますか?
当時のわたしは、あの主人公のような性格をしていたんです。(まあ、今も基本的にはそのままですが)
主人公の行動は、わたしそのものでした。
だから、本を読むごとに太宰治に心の中をのぞかれているようで、こわくなったのです。
主人公は、表向きにいい顔をして、心の中は冷めている。
その冷めた心が他の人間に知られるのを恐れながら、道化を演じる自分。
それを見透かされたような気がしました。
いろいろなところに気を使って、それで他人の反応がこわくてこわくて、結局他人に対してどうしていいかわからなくて、それで一人で傷ついて自暴自棄になって酒を飲む。
人をだまして自分にも嘘をついて、どうにでもなれって思ってました。
あの主人公、仕事で漫画描いてたんですね。
わたしも漫画描きだったし、自暴自棄な狂った漫画描いてたりしたから、なおさらやっていることが似ていて、さらに自分にシンクロしたのかもしれません。
主人公が最後に精神病院に入れられてしまいますが、わたしの母親も精神病院に入ったこともあり、まあ、重く受け止めたでしょうね、当時のわたし。
わたしもこうなっちゃうかも、と思ったでしょう。
精神病院に入る人間というのは身近だったため、他人事ではありませんでした。
でも、当時のわたしは、『人間失格』を読んで落ち込みはしましたが、唯一、こう思っていました。
わたしは負けない。
わたしは負けない。
わたしは負けない。
一体どうすれば負けない自分になるのかはさっぱり分からずじまいでしたが、それでも負けない、自殺はしない、そういう気持ちだけはありました。
なぜかは自分にもわかりませんが、根拠のない自信だけはあったんですね。
自分は成功するんだって。
そして自分は成功するまでがんばる、というのは心の奥底にずっとありました。
だから太宰みたいに自殺という考えが浮かんだことはありませんでした。
そんなわけで、20歳ころ、けっこう辛くても生きてました。
そんなことを思い出しながら、『人間失格』を読みます。
あれから20年経った今のわたしは、さすがに客観的に読むことができました。
太宰、苦しんでるなあ、なんてね。
わたしは本当に『人間失格』といえる人間でした。
そしてずっと『人間失格』な性格のまま生きてきましたが、少しずつ本を読んだり、自己啓発系で考え方を治していったり、少しずつ、少しずつ変わってきました。
ま、結局まだなーんにも成功らしいことはしていないんですけどね。
でも、今のわたしっていうのは、私的には、かなり成功に近づいてきました。
成功っていうのは、昔の事ばかりくよくよ考えてばかりいた自分から脱却し、前向きなことを考えられるっていう自分。
これは以前のわたしからすると、かなり成功の部類です。
でもこれは人生の目標の成功からするとまだ出発点に立ったところ。
精神状態がやっと人並みになった感じ。
だから、これからやっと本番の成功ってやつを目指していけるのです。
いい年だけどね。
それにしても。
太宰治が、本当に自己啓発の本なんか読んだら、どうなったかしらね。
前向きに人生を前向きに語る太宰治は見たくない
やっぱり、人生に苦悩してじたばたとあがいてもだえている太宰治が太宰治らしい。
小説としてはやっぱり生きづらい人生に発狂している太宰がいい。
でも応援するわ。わたしの中の太宰くん。
成功ってやつをめざせるかどうかは分からないけれど、前向きに人生を歩んでいけるように。
好きなことをやってもっと後悔ばかりじゃない人生を歩んでいけるように。
がんばれ、太宰治。