今週のお題「防災の日」
こんにちわ、てらっちです。
静岡は年に何度も防災訓練の日があります。
今までは2度でしたが、東日本大震災の後一日増えて現在年に3回は防災訓練やっています。
およそ、3月、9月、12月はじめの日曜日に行われます。
この月は何があった月かごぞんじでしょうか?
3月はご存知の通り、2011年3月11日の東日本大震災の日。(震災のあと設けられました。主に津波の避難訓練をします)
12月は知る人ぞ知る、昭和東南海地震のあった日です。
1944年(昭和19年)12月7日、太平洋戦争まっただ中の冬のある日、静岡県西部を中心に大変大きな地震がありました。
「遠州沖大地震」と当初は呼ばれていたようですが、しかし戦争の最中であり、東海地域の軍需工場が壊滅的な打撃を受けたことを隠匿するため、「東南海地震」と名前を変更したとのこと。
大地震などあったと敵に知られぬよう、あまり大々的な報道はしなかったので、全国的にあまり知られない、知る人ぞしる地震なのです。
東南海地震のウィキリンクです。
「静岡県袋井市周辺」「愛知県西尾市の旧矢作川流域」などで震度7 に相当する揺れが生じていた
とこの記事で書かれていますが、父親がその袋井市出身で、その日の事を語ってくれたことがあるんです。
当時の父は今の大橋巨泉のようなずうずうしい姿からは想像もつかない、まだ幼い5才児でした。その日は熱を出して幼稚園を休み(戦争中に幼稚園に行っていたのかしら。また確認します)、家に寝ていたそうです。
そして風邪を引いたと聞いた隣のおばさんがお昼におうどんを作って持ってきてくれました。
おうどんをいただいて、間もなく、記事では午後1時36分とありますから、本当にお昼ごはんをいただいてすぐ、震度7の地震が襲ったのです。
立つこともままならず、寝ていた家も倒れ、その隙間から這い出し、なんとか一命をとりとめた父でしたが、その後、そのうどんを持ってきてくれた隣のおばさんは家の下敷きになって亡くなったと聞いたのでした。
はあ、そんな地震があったのねーとその話しを聞いた子どものころのわたしは実感もなく、呑気なものでしたが、今になって思うと戦時中というそう遠くない時代に、静岡にもそんな大きな地震があったのです。
その日は冬なのになまあたたかい空気の日であったため、今でも冬に妙にあたたかいと、この地域の年寄りたちは「地震でもきそうだね」と言います。
さて。
そんな静岡、わたしも子供のころから
「大地震がくるぞー大地震が来るぞー」
と脅され続けて30年。学校での防災訓練が功をなし、地震はこわいと洗脳のように植え付けられています。
日本中をあちこち引越す生活だったので、静岡から離れたときにはほっとしていましたが、なんやかんやで静岡に戻ってきてしまいました。
それでもまだこない東海地震。
いや、来なくていいんですけどね。
静岡県人の地震への備えはもうエキスパートです。
またその話しは書くことにしましょう。
てらっちでした♪