こんにちわ、てらっちです。
今週の勝間塾のサポートメールが『差別について敏感になる一週間』ということで、ちょっと重めの差別について学んでいます。
≫日本は空気のように差別がはびこっている
というのは、たしかに実感すること。住んでいるのが田舎なので、差別はかなり充満していると日々感じています。
男女の差別、国の差別、人種の差別……島国日本で日本人が農耕を生業として生きていくうえで、他を排他する、出る杭は打つ、というのが自衛手段として有効だった名残で、今でも根強く残る差別。
わたしの会社なんてのもひどいもんです。「優秀な人は男女を問わず、給料を出す」なんてわたしの入社時に言っていた社長ですが、ふたを開けてみりゃ明らかに男性優位の会社。「あんたはでしゃばるな男性社員を立てろ」と呼び出され驚いたのがつい先日のこと。
そのときの記事。
そしてたまにブラジル人派遣のエリの話しを書きますが、日本に来て労働している彼らも、日本人と同じように待遇されているとはけっして言えない状況です。
そういえば、韓国の人と結婚したいといっていた知り合いは、「朝鮮人なんて」と父親の強い反対に合いました。
わたしが住むあたりには部落民の名残があり、年配の人たちの口からはまだそんな話が出てきます。
今私のブログに一生懸命コメントを書きこんでくれている人も、どうやらハーフに怨恨があるのか、差別的な言葉をこれでもかと入力してくれています。ごくろうさまです。
今はネット社会になり、差別やいじめに関して過剰反応するようになりました。普段の一人ひとりはおとなしいのに、正義という名の剣を振りかざし仲間とともに徒党を組んだとたん内面の凶暴性が一気に表面に露呈してくる日本人。
ネットは異常なまでに少し飛び出た人たちを叩きます。
でも。
そんなにあんたたちは人を叩けるほど清廉潔白に生きてるの?
もし自分が叩かれたとき、あなたは正々堂々とわたしは正しいと宣言して生きていける?
人間はいろんなこと間違いだらけで生きていくし、失敗ばっかりだよ。
失敗してそれでも生きて、そして学んで一歩進んでいくんだから。
差別。
自分と違う人に対して、自分と同じようにしろ、という観点から出ているとわたしは思います。
人間だれでも、自分は正しいと思って生きていますから、「わたしと同じようになんでできないの、バカじゃない?」なんて意識が根底に生まれるのです。
なぜなら自分は正しいと思わないと生きていけないからです。
でも、自分と違う存在もあるんだということ。
自分の生きていた世界だけが、正しいわけじゃなくて、相手の世界も正しいんだということ。それを認めることで初めて心は楽になるんです。
会社の差別発言をしている年配の人たち、他の人を下げる発言をして自分の正義を語っているけれど、とても心から幸せを感じているとは思えません。
なぜならずっと他の人は自分と同じにはならないから、ずっと不満で、ずっと文句を言うことになるんです。文句を言うと幸せは遠ざかります。そしてまた不服をいうの繰り返し。
いろんな人がいて、いろんな生き方があって、いろんな世界がある。
日本なんて狭い了見だけで生きてちゃいけない。
差別。
空気のようにそこにあるから、よけいにタチが悪い。
信じたくないけど、少なからずわたしにもあります。海外で差別発言をした自分に自分でびっくりしたくらいですから。
でも意識して、意識することで、少しずつでも他の生き方をしている人たちも認めていかなきゃね。
他の自分と違う生き方の人を、ああ、そうなんだと。いろんな人がいるもんだねえと。
アドラー心理学では、子供に対しても一人の人間として相対します。そして子供に対しても尊う心をもつようにと。
すべての人が、子供だけではなく、すべての人に対してそうできれば、差別なんてものはなくなります。
そういえば、アドラーは世界大戦を経験して、この戦争をなくそうとこの心理学を始めたのでした。
ただ、差別は空気のようにあるからなかなか大変なんですが。
少しずつ、自分も『差別』しているんだ、と意識するところからはじめましょ。
いつかアドラーの願いが叶いますように。
てらっちでした。
こんな記事はいかがでしょ?