今「おそ松くん」が人気だと息子が言うので、思い出した話しがある。わたしは「おそ松くん」とは縁があるのだ。
なんとわたしの母親は「おそ松くん」を描いていたアニメーター。
母は青春時代に「おそ松くん」のアニメを描いて過ごしていたのだ。
今日はちょっと母のことを思い出したので、アニメーターだった母のことを書きたいと思う。
息子が「おそ松くん」の話しをしだしたのは最近。
訊くと深夜のアニメで「おそ松さん」というのをやっているというのだが、
六つ子の「おそ松くん」たちが大人になった話しで、今話題のかっこいい声優さんたちがその六つ子の声をあてていて、腐女子たちに「きゃー!トド松くん♡」と言われるほど、かなりの人気だという。
いまどき「おそ松くん」?
いや「おそ松さん」?
なーんて思ったのだが、話しをしていてふと母親のことを思い出した。
わたしの母親はなんとアニメーターだったのだ。
母親の世代でアニメーターっていうのはかなり稀有なんじゃなかろうか。
母親がアニメの会社に入ったのは大学浪人はしていないはずだから1965年。
手塚治虫先生の始めた虫プロの「鉄腕アトム」が始まったのが1963年だから、まだまだアニメ黎明期。
母は女子美短大を卒業するときには就職先がなくて困っていたという。
教職を取ったものの、教育実習で中学生にからかわれてばかりで、性格に合わずに教職は断念。
この先どうしたものかと就職先がなく途方にくれていたところを、アニメを描かないかと先生に誘われたという。
母が勤めていたのはスタジオユニという会社だった。
調べてもスタジオユニが「おそ松くん」を描いていたという経歴は出てこないので、細かい点は不明だが、
母が「おそ松くん」を描いていたこと、スタジオユニにいた、ということだけは事実。
まあ、とにかくスタジオユニに就職することができた。
スタジオユニという名前は今でもアニメを見ているとたまに出てくるので、どうもチェックしてしまう。
それは母親がおそらく人生で一番輝いていた時代だ。
同居していた叔父のいうには大恋愛をそのときにしていたというから、あまり聞いたことのない母の恋愛話しに少しほっとする。
その人と結婚できればよかったのだが、時代というもので親の進めた相手と見合い結婚し、そのあと自分の信じる宗教やら、親やら、夫やらといろんなものの間に挟まれ、悩んで苛まれて結果、分裂症という精神病になってそのまま人生を鉄格子のある病院で送って亡くなる。
(分裂症は現在統合失調症という名前になっている。)
スタジオユニは、わたしの知らない青春時代の母がいるのだ。
「おそ松くん」はわたしの知らない母が青春をかけて描いていたアニメだったのだ。
恋愛をし、仕事に追われ、仕事が間に合わず家に持って帰り、同居していた弟(わたしにとっては叔父)も一緒になって「おそ松くん」を描いていた。
仕事は大変だったようだが、先日叔父は「俺もおそ松くんを描かされたよ」と笑って語り、「あの人はすごい人だった」と母のことを言ってくれた。責任感と仕事に対する熱意はすばらしかったと。
わたしの知っている母は、宗教にはまって迷惑ばかりかけていた人であったから母をほめてくれる、数少ないこの叔父はありがたい存在である。
わたしは、わたしたち姉弟のことだけ考えて生きてきた母を尊敬している。
本当に残りの人生のすべてをわたしたち姉弟に奉げてきた人だった。
しかし、わたしは母のようにはならない。
母のようにいろんなものに押しつぶされてしまった人生は歩まない。
そうして幸せになることが母に対する恩返しになると思う。
ただ、母ともう少し一緒にいる時間がほしかったな。
「おそ松くん」でこんなにセンチメンタルになる人間てそうはいないだろうが、「おそ松さん」は母を思い出させてくれた。
もうじきお彼岸になる。
墓参りでも行ってこよう。
ちょっと今日はセンチメンタルだったね。
てらっちでした♪
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