シンガポールに今月行って来まーす!
100%観光旅行ですが、実はワタクシ、遠い昔、シンガポールに半年ほど住んでいたので、ほんとーに楽しみなのです。
もうかれこれ20年以上前。(歳がばれる)
私がまだ20代の若かりし頃、ダンナの転勤でまだ1歳の息子をつれて住んでいました。
日本人コミュニティーにいたこともあり英語は結局喋れるようにはならなかったのですが、「英語はしゃべれん!」だけ堂々と言えるようになりました(笑)
その時あまりに話せなかったので、未だに英語の勉強しています。
あとディスカウントですね。
値切りは平気でできるようになりました。
チャイニーズが当時7割いたためか値切り文化です。値切らないと損です。だいたいついている値段ははったりだと言っていいほど、値切るとびっくりするぐらい値段が下がります。そのおかげでしばらく日本に帰ってからもあちこちで夫婦で値切っていました^^;
さて。
シンガポールに行って初めて知ったことが、戦時中、日本がシンガポールを占領していたという事実。
おそらく教科書でさらっと流しているのでしょうが、まあ、授業なんて適当に聴いてましたからねえ、ガダルカナル島やフィリピンなど、戦時中に戦場となった島はなーんとなく知っていましたが、シンガポールもその一つだとはつゆしらず。
知らないまま訪れたシンガポールでは、日本との戦争で亡くなった人達を悼む記念碑が建っていたり、まだ開発が始まったばかりの観光名所であるセントーサにまっさきに日本敗戦記念の蝋人形館が作られたり。(リアルな実物大のロウ人形が、敗戦の調印式を再現しています。あ、もちろん日本が敗戦側。相手は英国人。もともとシンガポールは英国の占領下だったのです)
直接誰かに「この日本人め!」のような非難をされたことはありませんでしたが、なんだか肩身が狭い気持ちでした。
大体当時の日本軍は当の国民にだって権力をかざして暴力を振るっていたのですから、何をどう言おうと、占領した国でひどい仕打ちをしてきたことはあきらかです。
一番ひどい描写は、日本兵が赤ん坊を棒に串刺しにしている絵。
どこまでが現実なのか。
伝えられた話しですから誇張もあるかもしれないと、信じたくない思いでその絵を見ました。真実であってもなくても、どちらにせよ、戦争によって尋常でない日常であったことはわかります。
当時住んでいたアパートにいたチャイニーズ系の優しいおじいちゃん。
ある日、占領されていたときの話しを教えてくれました。ただ、私の英語力がないためはっきりしたことは不明ですが、ただわかったのは、「ヒロヒトバンザーイ」と言って軍歌を唄ってくれたこと。
どうやら戦時中、朝になるとそうやって歌い、バンザイをさせられていた、ということのようでした。
台湾人のママ友。台湾は占領された時に日本語を強要したため、親が話せると。だから彼女も流暢に日本語を話すことができました。言葉が通じるのはうれしいし、普通に子供たちとも遊んでいました。でも戦争の威力をまさか言葉でこんなに感じるとは思いもしませんでした。
あれから20年以上経っているのですから、戦争を知っているかたも少なくなったでしょう。そういう話しを語れる人も少なくなっているかもしれません。
今、どう変わったんでしょうね、シンガポール。
ちょっとしんみりしちゃいましたが、そんなわけで、わたしの青春の1ページを確認しに、また行ってきます!
変わりすぎてて確認できなかったりして^^;
てらっちでした♪