今回は本当に『古事記』とはなんだろうということで、『古事記』について基本的なことを書いていきたいと思います。
『古事記』ってどんな本なんだろう?
いったい『古事記』とはどんな本なのでしょう。
『古事記』という名前だけは学校の歴史の教科書で知っている方も多いでしょうが、いったい何が書かれているかはふつうの方は意外と知らないものです。
『日本最古の書物』という点だけが際立って有名になってしまっていますが、それ以前の書物がないわけではなく、書物としての形が残っている中で最古ということです。
とはいえ『古事記』の原本は現存しておらず、現在伝わっているものはいくつかの写本であり、真福寺に伝わる『古事記』の写本は国宝に指定されています。
当時の本物は、もうないんですね。
『古事記』には何が書かれているの?
『古事記』はごく簡単に言うと、天皇家の正当な系譜を残そうと天皇家によって編纂された書物です。
初めに指示を出したのは壬申の乱で勝利し、天皇家の地盤を盤石なものにしたいと考えた天武天皇でした。
「諸家に伝わる『帝紀』『旧辞』にはウソ、間違いが多すぎる」
『諸家のもたる帝紀および本辞、既に正実に違ひ、多く虚偽を加ふ。』(wikipediaより)
と嘆いた天武天皇は、新たに正史を編纂するため一度聞いただけで何でも覚えてしまうという稗田阿礼に指示し、諸氏族に伝わる系譜(帝皇日継)や、日本各地の伝承(先代旧辞)を覚えさせ、間違いをただして残そうとしました。
結局、天武天皇は志半ばで崩御され、編纂は一度中断。
しかし息子の嫁である元明天皇の代になり、元明天皇が事業の継続を決断し、太安万侶にあらためて編纂を指示。
そして『古事記』は、やっと日の目を見ることができたのです。
このことがすべて『古事記』の序文に書かれているのですが、この序文というのが大変面白い!のです。
日本語を産み出す苦労
序文では、
天地創造から歴代天皇の偉大さを讃えたのち、
天武天皇による『古事記』編纂の指示や、上記の編纂中断の理由に触れ、
現在の元明天皇に自分が指示されてまとめたものだ、と太安万侶が記しています。太安万侶、なんとなく覚えてます?授業で習いましたよ。
そしてなんといっても興味深いのが、この太安万侶。
「書き文字としての日本語」
というものが成立していない時代のことですから
一体どうやって「日本語」を書き表したらいいんだ!
といった苦労譚が、この序文に書かれているのです。
当時使われていた文字といえば、中国から渡ってきた文字文化「漢文」でした。
『古事記』はほとんどをその漢文によって書かれているのですが、
日本語をそのまま表したい!
という太安万侶の苦悩がありました。
『古事記』の文は、ごちゃ混ぜです。
漢文を音読みする部分
訓読みする部分
音読みを暴走族のように(笑)漢字を当て字にした部分
の3種類。
≫訓読みの例
國稚如浮脂(くにわかくうかべるあぶらのごとくして)
これは学校で習った訓み下し文ですよね
≫音読みの例
久羅下那州多陀用幣流(くらげなすただよへる)
わかります?ね、暴走族でしょ
≫わかりにくい文には注釈をつけている例
宇摩志阿斯訶備比古遲神 此神名以音(ウマシアシカビヒコジノカミ この神の名は音読みで読む)
此神名以音…の部分が音読みで読んで!との注記になっています。
太安万侶の苦労の結果、音読みでひとつの文章の中に音読み、訓読みが混在しています。
分かりにくいところには注釈を用いていますが、
ごらんのとおりぜーんぶが漢字。
漢字ばかりが並んでいるため、これをあらためて解読していった本居宣長の功績は本当に大きいと思います。
『古事記』を原文でみることのできるサイト。クラクラします(笑)
http://www.seisaku.bz/kojiki_index.html
序文では
「本当に大変だったんだよー」
と太安万侶のグチが聞こえてくるようです。
そして『日本書紀』と『古事記』の一番大きな違いはこの点にあると思います。
『古事記』から古代の言葉を知ることができる!
先ほども言いましたが、『日本書紀』はすべて中国から伝わった「漢文」によって書かれています。結構お堅いイメージです。
一方、『古事記』は、漢文で書かれている中に、なんとか日本語を表現しようと、当て字で日本語を表現しています。
その結果、太安万侶の苦労のおかげで、当時の日本人がどのような言葉を話していたのかを実際に知ることができるのです。
たとえば先ほどの文をみますと、
國稚如浮脂(くにわかくうかべるあぶらのごとくして)
これは、訓み下し文ですから、当時の実際の読み方ではありません。
しかし、その次の
久羅下那州多陀用幣流(くらげなすただよへる)
宇摩志阿斯訶備比古遲神(ウマシアシカビヒコジノカミ)
は、暴走族読み(?)のおかげで当時の読み方がわかるんですね。
だからこんな歌謡の一節も、当時の言葉で知ることができるのです。
許能美岐波 和賀美岐那良受 久志能加美
この神酒(みき)は、吾が神酒ならず、酒神(くし)の神
登許余邇伊麻須 伊波多多須
常世(とこよ)にいます、いはたたす
須久那美迦微能 加牟菩岐 本岐玖琉本斯 登余本岐 本岐母登本斯
少御神(スクナミカミ)の神寿(かむほ)き、寿き狂(ほきくる)ほし、豊寿(とよほ)き、寿き廻(ほきもと)ほし
麻都理許斯美岐叙 阿佐受袁勢 佐佐
奉(まつ)りこし神酒(みき)そ、あさず干(を)せ 酒(ささ)
このお酒は私だけの神酒ではありません。神酒の司である常世の国にいる少名彦(=スクナヒコナ)が、祝いの言葉を述べながら、歌って踊り狂って、醸(カモ)したお酒です。さぁ、この酒を残さず飲みなさい。さぁさぁ!
この歌謡については、こちらのサイトを参考にしました。
とってもかわいいサイトです(*^^*)
まとめ
こんな感じで、当時の言葉を感じながら読むことができるのが『古事記』の魅力。
この日本語表記の苦労を見ると、なぜ現代の日本語がこんなにも多様で、漢字、ひらがなカタカナと表記が増えていったのか、その一端を知ることができます。
ご苦労様でした♪と、太安万侶に言葉をかけてあげたい気持ちでいっぱいです。
ただ、おかげで国語のテストは大変なことになってますが^^;
これもなんでも受け容れ自分に受け入れてしまう日本人の性(さが)でしょうか。
『古事記』、ぜひ一度読んでみてくださいね。
とっつきには、この本がよいかと思います。
『古事記』角川書店編「ビギナーズクラシックス」
『古事記』の全編ではありませんが、原文の書き下し文と、読みやすい現代語訳の読み物とついており、『古事記』の”味”といえる、『日本書紀』では書かれていない「歌謡」もあじわうことができると思います。
明治天皇のひ孫の、 竹田さんの本もあります。
てらっちでした♪