今日はちょっとお堅い話。
先日「夫婦別姓を認めない規定は合憲」と最高裁判決が出ましたね。
でもネット社会の今、そんな名前がどうの、苗字がどうのということ自体がなんだか古臭く感じるのはわたしだけでしょうか?
私の意見は、極論になりますが
『名前はいらない』
と思うのです。
》苗字っていったいなんぞや
先日、婿に入った男性が会社のデータベースや、書類の名前を全部嫁さんの苗字に直し、名刺も全部すり直して大変だったという話しをしておりました。
某うちの旦那は、
「やっぱり男が婿に入ると名前が変わったりして大変だよな」
なんてことを言うのでもめたんですよ。
私「えー?だからって、いつも女ばかりその大変な作業をしなきゃいけないってのはおかしな話じゃないの?」
旦那「でも普通は苗字変わるの女の人じゃん。だいたい肩書きあるのって男の人だからやっぱり大変だよ」
ほらほら、もう男女平等だのなんだのなんて、遠い話だなと思う瞬間です。
絵に描いたような昔人間を旦那にもつと大変です(^^;)
もうもめるもめる。
……それにしても、日本人はこの苗字が変わるっていうことになぜこだわるのでしょう?
》日本の家族制度ってやつの正体
若い頃、都会から田舎のばあちゃんちに居候した時にすごく耳ざわりだったのが近所の話題。
「ああ、あの〇〇さんちの子ね!」
「あの〇〇さんちの〇〇ちゃん、受験に落ちたって」
「ああ、やっぱり、最近あんまり外出してないからもしかしたらと思ってたけど、ああそう。そうだと思ったのよね」
20年前、大都会東京からド田舎に引っ越してきたわたしは、このムダに他人の家のことを詮索するばあちゃんたちの会話が大嫌いでした。
そんなに人の家のことに首を突っ込まなくても、と思ったものでしたが、それが日本古来のコミュニケーションであり、お互いの確認方法、ひいては村に溶け込む一番の最善策だったのだと気付いたのはだいぶ経ってからのことです。
で。
古来から家というのは非常に大事で、まず家で祀っているのはご先祖様。ご先祖様が家を守り、子孫がその家を継ぐ。戦国の世も江戸の世も、”家”が受け継がれてきました。
個人のたてまえより、
「お家のため」に切腹
なんていうキーワードが時代ものでも数多く出てきますよね。
ですからその”家”を現す「苗字」というものをとても大事にしたんです。
その個を現すアドレスとして「苗字」が存在しました。
だから、「苗字」を伝えれば目の前の”個”が誰なのかが伝わる、大事なキーワードだったんです。
》今回の同姓、別姓の問題点は二つあった
ところで、今回の同姓、別姓の話しでは二つの問題点がごっちゃになって議論されていると思うのです。
1)行政や社会的な処理のわずらわしさが女性に偏る問題
2)個人として確立された名前を認めてほしいという問題
まず1)について。
先月、もしくは今月、ほぼ全世帯に届けられたものがありますよね、そう、マイナンバー!
今の個人のアドレスは、このマイナンバーに任せてしまえばいいと思います。このナンバーがしっかり定着してくれば行政が動くために必要なものは名前は補助的なパスワードでしかなく、IDはマイナンバーでいいと思いません?
つまり、行政ではぶっちゃけ
名前などなくていい
と思うのです。
マイナンバー、これさえあればもう個人は特定できるのです。
……じゃあ番号で呼ぶの?
そんな覚えにくいことはできません(笑)
名前は自由に選べばいいのです。
》名前は自由に決めればいい
2)の個人の名前について。
ネット世界の考え方と同じで、名前は自分でニックネームのようにつけてしまえばいいのです。
自分も当時年下の店長につけられたあだ名、「てらっち」をコミュニティ内で適当につけたところ、意外や仲間内で定着し、思いもかけず私の中で大きな存在となっていますが、そんな感じでもいいので、名前など、自分で好きなようにつければいいのです。
私は芥川賞作家の遠藤周作先生が好きだったのですが、あの先生も、『狐狸庵(こりあん)』と名乗り、ユーモアを書くときのペンネームとして使っておられました。そして、自分の名前をつくり、自分のキャラを作ることを勧めておられました。
》まとめ
私は名前をそんな風に考えていますので、同姓だの、別姓だのにこだわること自体がよくわかりません。
あちこちの書類で書き込む欄の
「氏」「名」
の枠が二つしかないのもおかしいと思うくらいです。
まじめに夫婦別姓について答えると、(まあ、今までの文章も大真面目ですが)
ブラジル友達の名前を聞くと、
「ブラジルの名前」「日本の名前」「母の苗字」「父の苗字」
とくっついているだそうです。まあ長い長い。でも、これでいいのではないかと思うのです。
結婚したら、相手の苗字と自分の苗字と両方名乗る。
役所にはこれで提出して、
で、普段使いは通称として名前を抜粋して使う。
もし決めるのならば、同姓、別姓と決めるのではなく、もっとフレキシブルにブラジル方式でくっつけていけばいいのではないでしょうか。
〈閑話〉
ちょっと夫婦別姓について面白いブログを見つけました。現在日本に住んでいて、国際結婚で両方の名前をちゃんと名乗っているというのです。これは興味深い。
〈閑話休題〉
名前はその人の個性です。
名は体を表すといいます。
山上憶良は「言霊」という言葉を使っています。
つまり話す言葉には魂が宿るんですね。
だから名前には魂が宿ります。
その人の魂が宿るのです。
だから、名前を変えるということの重みを法律を作る人たちにも知ってほしい。
それと同時に、もっと名前は自由でいい。
もし不服なら、自分で名乗ればいい。
そうおもいます。
ちょっとまじめな、てらっちでした。