ままここmamacoco

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ビリーフを脱ぐ。1枚目。宗教からの脱却。〜わたしが自己肯定感をどうやって高めてきたのか?

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こんにちは! HSP敏感すぎるブロガーてらっちです♪

 

自己肯定感をどうやって高めてきたのか。

 

のつづきです。

今回ちょっと重い話になりますので、ご了承くださいまし。重いんですわ。ほんと。

 

私の心には多くのビリーフがありました。

心の中のわだかまりや、凝り固まった考え方などのことをビリーフと言うのですが、おそらく私には多くのビリーフがわたしのまわりに玉ねぎのようにあったと思われます。

 


今でもまだ皮は何重にも重なってにもあるのでしょうが、今はそれでもスッキリしたんですよ!

 


そんなビリーフとの戦いを順を追って書いてみようと思っています。

 


それが結果的に、わたしの自己肯定感をあげることになっていったので。

 


わたしにとって、ひとつめの大きなビリーフは、『宗教』でした。

宗教?

そうなんです。

わたしは生まれて1歳で某信仰宗教に強制的に入れられました。

 


なぜそんなことがと思われるでしょうが、わたしの母が熱心な某宗教の信者だったためです。

マジメなわたしはけっこうその仏さまを信じていました。いや、今になって思えば、誰かに褒められたかったのかもしれません。

中学になってからは、朝晩とお経を読み、お題目とよぶ、「南無妙法蓮華経」を20分でも30分でも、時には何時間も唱え、宗教の集まりにはちゃんと参加していました。

なにせ、お題目を100万遍唱えれば、ちゃんと願い事が叶うっていうんですから、がんばったんですよ。(でも数字を覚えるのが嫌いなので、何回唱えたかはわからない(笑))

わたしには願い事があったんです。

 


漫画家になりたい。

それと

精神病の母を治したい。

 


中学に入った頃に両親は離婚。

母は念願叶ってシングルマザーになり、静岡からなぜか日本の南端、鹿児島に引っ越します。

何より宗教に熱心だった母。

この宗教は全国ネットが張り巡らされているため、全国どこでも仲間がいるという強みがあります。いつでも心強い仲間がいる。母は宗教に仕事にと頑張りました。

 


でも。

どんどん母はおかしくなっていきました。

 


移住先の鹿児島で大同生命の保険の仕事を始めたのですが、

 


「課長がわたしに魔法をかけて、契約を取れないようにしている」

 


などと言い出すのです。

いくら子どもでもおかしいことはわかります。でも言動がおかしいのは昔からのことでもあり、そしておかしいと思っても対処のしようを知りませんでした。ただ聞いているだけ。

 


中学3年の時に突然東京へと引っ越します。鹿児島から、寝台特急『さくら』に乗り、丸一日かけて移動。

母は大学時代、東京に住んでいたんです。

でも東京に来ても生活は楽にはなりませんでした。

 


母の症状はひどくなるばかりです。

はじめは設計の仕事をしていましたが、おそらくクビになったと思われます。バイトのような仕事を転々として、最後は交通整理の旗振りをしていました。ペーパードライバーの母が役に立ったとは思えませんが、毎日真っ黒になって仕事をしていました。

そして家では、宙を見つめて喋りだしたり、サルのようなアクションをしたり奇行が目立つようになります。

 


わたしは仏さまに願うしかありませんでした。

大人ってもんを信用していないので、親戚に頼ることも考えてなかったんです。

母は父のことが大嫌いだったので、父に相談するなんてことも夢にも思いませんでした。

今思えば、せめて父に相談すれば何か道は拓けたのかもしれません。

 


仏さまを信じて信じて、散々信じたのに、母はまったく良くならない。

毎日お題目を何時間あげても、お経を毎日朝晩読んでも良くならない。

 

いや、良くならないどころが悪くなっていく!

 

そりゃそうです。病気の人をほったらかしてるんですから。でも当時のわたしはどうしたらいいのかわからなかった。

仏さまを信じれば、なんでも叶うって言ってたのに!お題目100万遍唱えれば、なんでも願いが叶うって言ってたのに!!!!!

 

そしてある日、悟りました。

 

 

ムダだ。

 

 

と。

 

わたしはある日、宗教をやめる!と当時の彼氏に宣言しました。

 


それからも苦悩は続きました。

お題目やお経を唱えるのをピタッとやめましたが、悪いことや嫌なことが起こると、「お題目をやめたから?」という不安が心をよぎります。その時にはもう洗脳されていたんですね。

その不安や恐怖と戦うこと、そして不安感がなくなるまで数ヶ月かかったと思います。

その間、彼氏や友だちに

 


「それは気のせいだから、なんてことないよ」

 


と声をかけてもらい、なんとか立ち直りました。

 


これがわたしの第一のビリーフでした。

けっこう大きな皮がめくれたのですが、まだ、自己肯定感は低いまま。

 


精神障害の母に育てられ、普段先生以外の大人に触れ合う機会がなかったので、

 


自分はまともではない。

自分の常識は間違っている。

自分なんていてもいなくてもいい。

 


と、心の底にオリのように溜まっていた自己否定。

自己否定とともに、わたしは母として子育てをしていくのでした。

 


つづく。