⇒いにしえとこしえ⇒

新しいもの大好き!ワーキングママ目線で使える情報発信と、人生を前向きに変えてくれた学びのシェア中心でお届けします♪ 『日本書紀』『古事記』からハニワまで網羅する日本古代史オタクを10年やってます。

【スポンサーリンク】

『卑弥呼(ひみこ)』って誰だろう?~『魏志倭人伝』の中の卑弥呼

古代史の有名人、卑弥呼はいったいどういう人なのでしょう?
 
『魏志倭人伝』に「卑弥呼」の記述があります。
古代史ファンなら一般に知られていることですが、改めてご紹介しますね。
 
時代は、まだ中国が『三国志』の時代。
 
大陸では群雄割拠、「魏•呉•蜀」の三国が覇権を争い巨大な中国大陸を牛耳るため、三国入り乱れてのバトルロワイヤル、大変な戦乱の時代でありました。
呉が倒れ、西晋が覇権を手に入れたあとにこの西晋の陳寿により『三国志』は成立したとされています。

最近では『三国志』といえばゲームの方が知られているかもしれませんが、その『三国志』の中の一節として、『魏志倭人伝』は書かれているのです。
その『三国志』の「魏書 第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条」にある記述を、一般には『魏志倭人伝』として呼びます。
『魏志倭人伝』の内容としては、当時の「倭」(わ)について、日本の国までの地理、日本の生活、文化、植生などが書かれています。
 
これが面白いのですよ。

卑弥呼の記述と邪馬台国までの行程がクローズアップされがちですが、これが大変興味深い!
面白いのでまた別項目で書きますね。

さて。

その『魏志倭人伝』の中で
 
「日本に卑弥呼という女王がいる」
 
との記述があります。
魏の王から女王が金印を賜ったのが、A.D.238年。
亡くなったというのがA.D.247年ということなので、卑弥呼は、3世紀前半に活躍していた人物なのだとわかります。
 
卑弥呼は当時の中国の人が、耳で聞いた日本語名に漢字を当てたもので、実は、
 
これは『卑弥呼の名前は個人の名前ではない!』という意見が多いのです。
 
卑弥呼が人の名前ではない?
 
いったい、ヒミコ、ヒミコと呼んでいた人物とは、いったい何者だというのでしょう?
 
ではまず、ヒミコを日本語にしたら、いったいどうなるのか考えてみましょう。
 
よく言われるのが、
 
ヒミコ=「日の巫女(ひのみこ)」
 
つまり太陽のシャーマンという職名ではないか、という説です。
『魏志倭人伝』中でも卑弥呼は「鬼道」を行っていたとあり、民衆を惑わしていたのだと。
 
では本当の名前はなんなのでしょう?

「卑弥呼」は大変有名ですがそれは中国での文献での名前であり、『古事記』や『日本書紀』において、卑弥呼が誰にあたるのか、どの神さまに該当するのか、実は正確にわかっていないのです
『日本書紀』では、「神功皇后(じんぐうこうごう)」が卑弥呼だと匂わす書き方をしているのですが…
 
『魏志倭人伝』においても、女王が亡くなったあと、巨大な塚が築かれ百余人の奴婢が殉葬されたとあります。
(卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩、狥葬者奴碑百餘人)。
 
その陵が、奈良の「箸墓(はしはか)古墳」にあたるのではないかとの見方が強く、第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)の墓に治定されているため、彼女が「卑弥呼」ではないかと目されています。
 
現在は発掘調査は宮内庁により禁止されているため、詳しい調査はできません。
2013年2月20日、日本考古学協会などの要望で初の調査が実現しましたが、あまり目新しい情報はなかったようです。
 
調査、したいですねえ。
宮内庁の今後に期待したいと思います♪
 
それでは今日はここまで。
【スポンサーリンク】