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『出雲』の人は「縄文人」!?

(こちらは旧ブログからの記事になります)

『出雲国』のスサノオは現実にいた人物ではないか?という話しを前々回しました。
 
『古事記』や『日本書紀』での神さまが、実は単なる神話ではなく、実際にこの世に存在していたのでは?というのが、現在一般的な考えとなっているという話しでした。
 
スサノオや子孫の大国主命(オオクニヌシ)のことをよく「出雲族」と呼びます。出雲国を統治していた一族です。
定説では、彼らこそが日本にもともと暮らしていた
 
「先住民族」
 
だったというのです。
 
つまり、「縄文時代」から日本に暮らしていた「縄文人」だというのです。
 
それまでの日本に暮らしていた狩猟民族「縄文人」の国家である「出雲国」は、のちに大陸からやってきた農耕民族であるアマテラス一族の「弥生人」に乗っ取られ、それを表しているのが、『古事記』での「国譲り」なのだと。
 
しかし『日本書紀』ではこの「出雲国」の伝承部分をかなり割愛しているため、「出雲国」や「神話」部分は作り話に過ぎないという考えもそれまではかなりあったようです。
しかし現在では「出雲国」も存在するという方向に変わっています。
 
なぜ、『日本書紀』では「出雲国」を抹消しようとしたのでしょう?
研究者によると『日本書紀』から抹消することにより、まだ地盤が脆弱だった当時の天皇家の地位確立を目論んだのだと。それだけ、「出雲」が当時巨大な力を持っていたということです。
 
しかし、文献にさえはっきりと示されない、そんな国が本当にあったのでしょうか?
 
それが考古学によって証明されています。
 
島根県の
 
「荒神谷遺跡(こうじんだにいせき)」
「妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)」
 
です。この遺跡の発見が、それまで文献上での考証で「出雲国」は神話だとされていた今までの常識をひっくり返しました。
 
「妻木晩田遺跡」は1995年ごろ、大規模リゾート開発のための発掘調査により発見されました。1世紀前半から3世紀にかけて弥生後期に出雲国の中心だったとされ、発見当時最大級の遺跡であった吉野ヶ里遺跡の5倍以上の面積がありました。
 
またもう一つの「荒神谷遺跡」。
こちらもすごいのです。
この「荒神谷遺跡」では1984年 から始まった発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土するという、考古学的大発見がありました。
なんと、それまで日本で発見されていた銅剣の数をすべて合わせた数より、さらに多い数の銅剣が、一度に、一箇所から発見されたということで、みなの度肝を抜き、一気に古代史が塗り変わったのです。
 
しかもその銅剣は、死者を弔うように丁重に埋葬されていたとか。
なぜこの銅剣はこのような埋められ方をしたのでしょう?
 
井沢元彦氏は、『逆説の日本史ニッポン風土記1』の中で、こう述べています。
 
》いささか大胆な説を述べれば、これは「青銅器を使う出雲族」が、「鉄器を使う大和族」に制服され、その祭器(神器)である青銅の剣をすべて没収され廃棄されたのではないか?
 
また別の見解として、この「358本」という数が、当時のクニの数となんと一致するのだといいます。
この国、「出雲」の偉大な首長を弔うため、各クニの青銅剣が集められ、一緒に埋葬されたのでは?というのはロマンに過ぎるでしょうか?
 
想像すると、ワクワクします。いったいこの時、何があったのでしょう?
 
つづきはまた次回。
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